山吹

嵐が近づいてゐる、といふ。\r
少し曇りて、灰色がかった強風に
押しやられるのを待ってゐるやうな気配である。\r

タクシーを停めて
「大田鋼管まで」と行き先近くの目印を告げると
「オオタドウカンですか?」と聞き返された。\r

「うふ、太田道灌なら江戸城へ行っちゃうわね」\r
「ああ・・・そうですねぇ」\r

運転手は気分を良くして天候の話などをする。\r
乗車時間は5分ほどであった。\r

席についてコンピュータの電源を入れると
自社サイトの掲示板で
「スパルタなら実のひとつだに」の下りが目についた。\r

「なきぞかなしき」と返信する。\r

ああ、歌のひとつでも味わいなさいという掲示か。\r
食事さえ慌ただしい日々の、澱を流せと。\r

『七重八重 花は咲けども山吹の 実のひとつだになきぞかなしき』\r
後拾遺集の中のもので、詠み手は兼明親王である。\r

この歌が有名なのは、太田道灌の逸話のせいであらう。\r

にわか雨に困って、農家で蓑を借りようとしたところ\r
山吹の花が差し出されたという「鷹狩り」事件は
道灌が歌道に精進するきっかけになった、と、語られてゐる。\r

初めは憤慨した彼が歌道に明るい者に諭され\r
自分の教養の無さを恥じたから、というのである。\r

幼時より鎌倉五山に学び、すでに和歌に長じていたという説もあり\
真偽のほどは定かでない。\r

毎年五月頃、「大田鋼管」の隣家の庭に黄色い花が咲く。