我が父は細かいことに結構うるさい人でありました。
箸の持ち方、ナイフ・フォークも正しく
音をたてる食べ方はいけない
夜九時以降の電話は禁止・・・etc。
その枕詞は
「おばあちゃんは」
「おじいちゃんは」なのでした。
父は祖父母に育てられましたので
「おじいちゃん」というのはわたくしから見ると
曾祖父にあたるわけですね。
この曾祖父を、父は非常に尊敬していたのでした。
曾祖父は明治元年の生まれ。
江戸の伝統、明治の進取をともにもっていた人物だったようです。
写真が何故か自宅にあるのですが
失礼ながら、お世辞にも器量よしとは言い難い容貌で
その妻が歌っているときの声に聞き惚れて後妻に押しかけてきた
という伝説は怪しいものです。
理由のひとつは、彼女の写真を見ると美しいから。
ふたつめは、四国の実家は船で仕送りをし続けるほど財力があったから。
他にいくらでも嫁ぎ先は望めたはずです。
それでもひとつだけ納得できる訳を探すとしたら
曾祖父の性格がよかったから、ということになります。
父は曾祖父の人となりを、このように言っていました。
道ばたに穴を見つけると土を運んで埋め
蚊に刺されても叩き殺さない人であった、と。
父の死後、弔いに出かけた寺で戦前に鐘を寄進していたことを知り
世間が仏のようだと表現したことも、腑に落ちました。