石頭

光り物には執着しない質、なのでございまする。
ところが近頃、「石」が気にかかっており。

園芸 → 石 と趣味が進化している様子は
まるで老人さながら、と一抹の不安も覚えられましょう。

それはそれ、達観しつつあるということでご勘弁を。

流行に敏い者がすでに商いを始めていますのを
あれこれ眺めておりますれば

「癒される」とか
「元気が出る」とかのうたい文句がきら星の如く。

証明できぬものはあまり心に掛けないわたくしは
精神的な何かの効果を期待をする筈もなく
鉱物としての「石」の色がどんな組成であるのか
心の奥底で興味を抱いているのであります。

昨日「翡翠」と「玉」を分けて書きはしましたが
実は中国では、特にこれを区別していないと聞き及びます。

「玉」には黄色や赤もあり。

19世紀ごろまでは軟玉の「玉」がむしろ徳が高く
硬玉の「翡翠」は石ころほどに目されていたと知れば
これはまた更なる驚きでございましょう。

「翡翠」に価値が生まれましたのは西太后が好んだから
などとも申します。

いずれにせよ、日本人の問いかけに区別して答える辺り
なかなか商売上手だと感心・感服この上もなく存じ。

翻ってこのわたくし
濃い緑色のものがやはり「翡翠」だと内心は譲りませぬ。
ああ硬い頭でございますれば。

珠玉

夫の実家へ墓参。

珍しく雨になったので
寺までの道のりは、しっとりとしていました。

近頃、里帰りのときには小倉の雑貨店に立ち寄ります。
小さな亀の置物を買うのが楽しみです。

翡翠のものが気持ちにピッタリだったのですが
玉(ギョク)ならあると言うことで決めました。

「幾つアルのですか」
「10個くらいになりますねぇ」

「どこに置いてイルのですか」
「金庫の上よ、貧乏してるから」

「・・・でも、買えるだけイイです」
「・・・なるほど、そーね、そうそう、ありがと」

彼女の言葉こそが珠玉でした。