ギャラリー不合格
歯医者に行って一旦戻った。
会社に出かける支度を整えると、何度も戸締まりを確認して自宅をあとにした。
薄曇りを幸い、化粧もせずであった。
敷地に隣接している公園のそばで独り言を聞いた。
振り向くと、大きめの眼鏡にプラチナの髪が美しい老婦人である。
まだ自分自身をしっかり自覚しているような様子をしているが
私に見えないものを見ているのかも知れない。
かまわず方向を元に戻すと、声は大きくなった。
初めて独り言の内容を聴いてみる。
彼女は私の背中に、「もしもし」、と言っていた。
他の誰もいない。
声の主に近づいて行くと、彼女はさらに話しかける。
このへんに長らく空家になっていた処はないか。
あったはずなのでそこへ行きたい。
二十メートルくらい離れたところにある、とすぐに思い出した。
十字路の角にあるその家を指し示すが、彼女の物語は続く。
「そこで弔いがあるはずなんです」
二人の立ち位置から塀が充分に臨めるのに、彼女は問い続ける。
向こうの道か、ひとつ違っていたのか。
私に見えるものが見えないのだろう。
一緒に行こうと促して先に立って案内するが
いつの間にか老婦人の方が玄関を見つけ、中に吸い込まれていった。
それから数分後に私は電停に居て、電車を待っていた。
ふと気になって携帯電話を確認すると、夫からの着信記録がある。
早々に予定が片づいたらしく、一緒に出勤するためうちに帰った。
昼時であった。
会社で食事と少しばかりの事務処理をしたころ、夫が提案した。
どこかへ行こうというのだが14時をとうに過ぎている。
このとき、なぜか「宇野千代」の名が浮かんだ。
生家付近にたどり着いたのは16時過ぎ。
閉まる時刻であったので、半ばあきらめ加減で電話をした。
不思議なことに、快く見学を許された。
こぢんまりとした家である。
勧められて庭に回ると、たっぷりの楓が緑に輝いていた。
ところどころに紅葉した枝があって、コントラストにため息が出た。
撮しては賞賛を繰り返す二人が珍しかったのか
どこから来たのかと、しきりにご婦人が尋ねる。
存外に長居をした詫びと礼を言って帰ろうとしたとき
管理団体の女性が教えてくれた。
「没後10周年で、今日は宇野千代の命日なのです」
平成八年 (一九九六) 六月十日午後四時十五分の永眠であった。
